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我が社の歴史㉗~バブル期の到来~
昭和60年(1985年)、日本経済は上昇の一途をたどっていました。
いわゆる一般的に1986年から始まるとされるバブル景気です。
大阪各所でも不動産投資が相次ぎ、生命保険会社が共同ビルを建築するブームが起こりました。
当社もその立地の良さから何社からか共同ビル建築の話がありましたが、結果日本生命と共同ビルを建設することとなりました。
昭和61年に調印を行い、工事を開始。文化財の発掘調査も行われました。
昭和62年9月には、発掘物の現地説明会が行われました。
この一帯は大阪城下のまちであり、豊臣時代には魚市場があったことを想像させる魚の文字の書いた木簡や、庶民の生活に欠かせない陶器、玩具、人形などが数多く出土しました。魚市場の痕跡は、道修町でも見つかっているそうです。
一部の発掘品は、道修町にある「くすりの道修町資料館」で展示されています。残念ながら手元には一切残っておりませんが・・・・・
その後魚市場は、新しく定められた場所に移転し、高麗橋あたりは三井呉服店などが軒をならべる町になったそうです。
OB社員の中には、旧ビルが取り壊されるのに淋しさをおぼえたが、出土品の数々が発掘されたことが思い出深いと語っておられます。