Staff tweetsスタッフのつぶやき
我が社の歴史⑰~海外へ
戦後の混乱期、朝鮮戦争における糸へん景気(綿の特需、レーヨンは輸出が活発化)、その後の不況など繊維業界には好不況の波が押し寄せました。
昭和26年(1951年)には、いわゆるフラノ旋風と言われる生産過剰による毛織物の価格の下落により中小の繊維商社の多くが倒産しました。
しかしながら当社は東京出張所を支店に格上げ、また婦人の洋装化を見越し、婦人服地の取り扱いを始めるなどのチャレンジを行いました。
貿易部長を初めて南アフリカに派遣したのもこの年でした。中近東にも貿易課長を派遣したとあります。
チャレンジする精神が感じられます。
昭和27年には生産者金融機関の援助もあり、資本金を4500万円にし、東京支店の改革にも着手。支店を日本橋芳町の小村ビルに移転しました。(昭和47年まで)
また毛製品の輸出がふるわなかったので、鉄鉱石なども輸出していたといいます。一方では輸入毛織物の国内売り上げが好調でした。
昭和27年(1952年)3月には、経営の合理化刷新案が出されました。それによると「昨春以来の経済の事情と羊毛繊維業界の悪化により相当なる打撃を被り・・・」とあり、高級切り売り生地の市場は東京を中心とすることや、従来の販売先にとらわれず新規開拓することや、文房具などは節約すること、交際費についても厳しく規制を設けていました。
今も同じですね。
5月には、組織を部課制にしました。第1課は紳士服地、第2課は婦人服地、化繊織物、第3課は輸出入を担当していました。