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わが社の歴史⑯~戦後の復興
終戦を迎え、日本も復興に向かって歩み始めました。
8月17日に社長から社員に向けてのメッセージが通達として出されています。
そこには「(前略)諸君。東天には既に微かなる暁光が瞬いています。(中略)昭和維新の出発。一切の戦塵をみそぎし、新たなる門途の準備のため来る八月二十四日まで臨時休業す。八月二十五日には全員出社の事」とあります。
戦後の混乱期に新たにスタートしていこうとする強い意思を感じます。
会社経理応急措置法により決算期間が変則となりました。戦後は闇取引が横行していましたが、当社は闇取引を行わなかったため、戦後のスタートダッシュが遅れました。
1947年(昭和22年)には終戦後の機構整備に伴い、貿易庁及び商工省より登録許可を受けました。これにより毛糸や毛織物の実務取り扱いを行いました。
戦後の復興に向けて、商工省など様々な省庁が施策を実行し各社はそれぞれの分野で復興に力を注ぎました。
当社はあらたに東京に出張所を設けるなど、販路を広げました。東京出張所は中央区日本橋江戸橋の藍沢ビルにありました。
1948年(昭和23年)には資本金を300万円にしました。国内での生産状況もようやく回復し、翌年には資本金を600万円にし、東京の出張所を充実させるべく、杉並区高円寺に社宅用住宅を購入しました。
戦後の統制撤廃後、各紡績業からは様々な製品が売り出されました。日本の戦後の復興には繊維産業は大きな役割を果たしました。
大同織物が手掛けた高級紳士服地「ミリオンテックス」(昭和25年(1950年)発売)御幸毛織の「ミユキテックス」(昭和28年(1953年9年発売)東洋紡が手掛けた「トーヨーテックス」等です。「ミリオンテックス」は豊田産業、石河商店、高岡商店、土井興業の4社を通じて切り売り商に販売されたそうです。(大同毛織「糸ひとすじ」より)
これらの一流メーカーを仕入れ先とし、全国一流の切売商、既製服商をお客様として業界のリーダーとなりました。
また、輸出羊毛製品取り扱い高においても戦前の水準を突破するにいたり、資本金も1500万円にしました。
昭和25年9月に菩提寺である法楽寺で戦没者供養が行われました。社員の方の中にも戦地に赴き、若い命を落とされた方もおられたようです。
*参考文献 大同毛織「糸ひとすじ」