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わが社の歴史⑮~終戦を迎えて
昭和19年(1944年)春になると。奉天支店の要員不足により大連出張所は休止しました。
国内では日本織物統制株式会社の代行業務は円滑に推移しました。
しかし8月になると生産が中止され、9月ごろには代行業務は休眠状態に陥りました。
配給制度が解除となると自由な営業に戻ることができました。
戦争が激しくなり、本土もアメリカからの空爆を受けるようになりました。
昭和20年の3月13日から14日の大阪空襲では市の中心一帯が大きな被害を受け、4000人余りの方が命を落とされたといいます。
阪急電車で梅田まできた祖父母は、もうもうと煙の上がる街を歩いて高麗橋までたどり着いたといいます。難波橋に来た時に三越が見えたのでお店が助かっているのではと思ったそう
ですが、炎が吹き上げているビルもあり、三越の南側を曲がり東を見たときに本宅の姿は跡形もなかったそうです。今の私たちには想像できない状況だったと思われます。
木造の建屋は全焼し、昔からあった蔵(安政の大火にも焼け残ったという)は真っ黒に焦げながらも焼け残っていました。
また店は鉄筋でしたので、内部はひどくなっていたそうですが、地下の防空壕も無事だったそうです。