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スタッフのつぶやき

    わが社の歴史⑫~昭和初期②

    昭和5年には5代目豊田善右衛門(社長の祖父にあたります)が取締役になりました。早くに父を亡くし、家業を継ぐことを定められていた善右衛門は、若くして会社に入り、古くからの社員の方々に支えられていました。

    昭和の初めの御堂筋の拡張工事で、4丁目にあった店の一部が削られました。

    大阪市からの御堂筋新設に対しての受益者負担に関する書面

    昭和7年には本店を再び4丁目にもどしました。

    糸や毛糸相場に左右されながらも、繊維の街大阪の中で、着実に業務を拡大させていきました。

    輸入に頼っていた毛織物も、尾西や泉州での生産も増加してきました。

    国産の毛織物の輸出を開始したのは昭和9年のことです。

    昭和10年に高麗橋4丁目の土地を売却、ここに三和銀行の本店が建ちました(現三菱UFJ銀行)。

    この売却代金を基に1丁目13にビルを建築し、糸部、絨部ともにここで営業することとなりました。建築は竹中工務店によるものでした。(竣工は昭和12年)

    昭和11年になると羊毛業界は対豪通商問題が勃発し、大きな痛手をうけました。対豪通商問題は1930年代に日本は豪州から羊毛と小麦を輸入、日本からは人造絹糸と綿織物を輸出。人造絹糸の輸出が増えたことで、豪州で高い関税がかけられることとなりました。

    これに対して日本では羊毛と小麦の輸入に許可制をとりました。日本と豪州との間での取引が最も盛んな時期でもありましたが、日豪両国にとっては深刻な通商問題があった時期だったようです。

    糸部の不況も回復せず、新店舗に移転したのを機会に持越し品を処分したとあります。

    この後日本は大変な時代に突入していきます。