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わが社の歴史⑩~大正時代
大正時代は短い期間にもかかわらず、日本が列国と肩をならべるようになり、近代化の波が大阪にも押し寄せてきました。船場の街は活気に満ち溢れた「おしゃれ地帯」だったのではないかと想像しています。現存する歴史的なビルも大正の後期にたてられたものがあります。
株式会社豊田商店として出発した会社は、 糸部と絨部にわかれていました。それぞれが切磋琢磨して営業先を開拓していたようです。
この頃の営業報告書が紙で残っています。
驚いたことに現代の営業報告書と同じく、貸借対照表と損益計算書、株主のこと,資産についても記載されています。
大正12年(1923年)には関東大震災がおこりました。そのために震災需要が一時的には増加しましたが、関東地方の回収不能先が増加し会社も苦境にたたされました。
しかしながら営業報告書には中華民国より大量の金銀モールの注文があったと記載があります。
翌年になっても糸部の不況は復活せず絹糸類は需要も減ってきました。
絹糸に代わるのが人造絹糸です。大正11年ごろの記述では、人造絹糸の需要が増えてきたとの記載があります。
諸外国からの輸入品であった人造絹糸も、このころは輸入が困難になってきました。そのころ国内で生産された人造絹糸も遜色なくなってきました。国内の人造絹糸の第一人者である帝国人造絹糸株式会社(帝人株式会社の前身)と製品売買の特約を結んだのは大正13年です。