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    わが社の歴史⑨~株式会社豊田商店へ

    大正7年(1918年)になると、組織を株式会社に改めました。

    各種糸類金銀モール及びその製品と毛織物及び各種織物服装付属品の輸入並びに問屋業及び各商品の諸官庁納品並びに代理業を営むとあります。

     

     

     

    設立総会は10月1日。

    締役には2代目の豊田文三郎(4代目善右衛門の次女マスの夫,豊田文三郎の息子)、廣海幾太郎(4代目善右衛門の三女梅子の夫)、豊田一雄(4代目善右衛門の四女喜世子の夫)、廣氏久吉、瀬口寅造の5名、監査役には膳末次郎、木津宗一を選任しました。本店は高麗橋4丁目、資本金は10万円でした。

    社長は2代目の豊田文三郎で、主に糸部を担当し、絨部は瀬口氏が担当しました。豊田善右衛門が個人で経営していた毛織物類の輸出入の営業権を継承して業務を開始しました。

    翌大正8年(1919年)には、合名会社豊田糸店を合併して資本金は20万円になりました。

    初年度の営業報告には、糸部は2か月ほどの営業であり、期末には生糸が活況となったが影響なし、絨部は輸入が途絶えたうえ、休戦条約の成立で物価が暴騰し、同業者は破綻したものも多かったが、幸いにも損害は被らず、在庫商品を早急に販売したことや、その後の市場の回復でもちなおしたとあります。

    翌年の営業報告には糸部は前期からの値上がり、人造絹糸も好調で利益を得たとあります。しかしながら期末には内地での製絨の暴落に始まり、輸入品の価格維持も困難で、まさに会社組織の初期は前途多難な船出であったようです。