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わが社の歴史⑧ 明治の終わりから大正へ
明治42年(1909年)不幸にして四代目豊田善右衛門の女婿の隆吉氏が夭折し、隆吉の息棟吉は(5代目善右衛門)は未だ6歳の幼少であり、老主四代目善右衛門は四女喜世子に久田家より一雄氏を迎えて女婿とし、家業を経営することとなりました。しかしながら、老主善右衛門とそりが合わず別家されました。四代目善右衛門は、現代ならまだまだ働き盛りでもあり、隠居したとはいえ、しっかり睨みをきかせていたようです。
まもなく第一次世界大戦(1914年~1918年)が起こり、戦地圏外にあった日本経済はアジアやアメリカへの商品輸出が急増しました。大阪も綿業を中心に「東洋のマンチェスター」と言われた時代を迎えます。
しかしながら大正9年(1920年)になると戦後の大不況に見舞われ四苦八苦したといいます。
前回のブログに登場の瀬口氏のもとこの困難に立ち向かいました。
これに先立つこと大正7年(1918年)には組織を株式会社に改めました。。