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社長ブログ わが街北浜
わが街北浜
皆さんこんにちは。豊田周平です。以前ブログでは大阪市について「もっと知ってほしい!」とお話しましたが、私は大阪の中でも拠点は大阪北浜(船場)です。人によって北浜とか船場の定義は違いますが、北船場の東側が北浜で、豊田産業株式会社の発祥もこの街。
北浜には、沢山の実際に使われているレトロでモダンな近代建築や歴史的に価値がある建造物と新しいビルが混在している、魅力溢れる街です。そんな北浜についてもっと皆さんに知ってほしいと思い、今回はその魅力を紹介していきます!
薬の街北浜
北浜は船場の北部に位置し、薬の街として有名です。
道修町(どしょうまち)には、薬の博物館もあるぐらいですが江戸時代には清・オランダの薬を取り扱う薬種中買仲間あり、日本で取り扱う薬は一度全てここに集まってから他の地域へと広まっていきました。その名残から、ここの通りには
・武田薬品工業
・塩野義製薬
・田辺三菱製薬
の本社が立ち並んでいます。大阪に製薬会社が多いのにはこんな理由があったんです。
また、北浜には薩摩藩出身の五代友厚がその前進を作った大阪証券取引所で有名です。五代友厚は、大阪の恩人として明治時代に経済を近代化させた人物で、薩摩の出身ですが大阪商工会議所で初代会頭として商工業を組織化しました。
また、私の出た大阪大学の元、緒方洪庵の適塾も船場にあります。
サントリーと小西家住宅
サントリー創業者である鳥井信治郎は、国の重要文化財である船場の旧小西家住宅(当時の小西儀助商店:現コニシ)にて、洋酒の知識を学びました。
ここでの経験から、国内で赤ワインを製造・販売し、その後本格的なウィスキーの製造が始まります。
船橋にはこういった歴史的建造物が多く残っていて、他にも伏見ビル、青山ビル、芝川ビルは、現在も当時の姿のまま利用されています。
北浜をゆっくり歩くと、こういった歴史を感じられる建物がまだまだたくさん残っていて、大阪らしい特別な観光スポットではありませんが、ゆっくり周ってみるのもおもしろいのかと。
東海道の終点がある
中之島、大川、堂島川、土佐堀川があり、昔は藩屋敷が。高麗橋は東海道の終点です。始まりの日本橋は有名ですが、終点はあまり有名ではありませんよね。東海道五十三次は京都までですが、京都〜大阪を入れた東海道五十七次の終点が高麗橋なんです。そして京街道、中国街道、暗越奈良街道、紀州街道、亀岡街道などの起点が高麗橋。日本橋と同じく、高麗橋の上にも高速道路が走っています。
今回のブログを見て、少しでも北浜興味がわいたら遊びに来てくださいね!案内させていただきます。