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社長ブログ 300回更新記念~豊田周平の生い立ちその2~サラリーマン以降
300回更新記念~豊田周平の生い立ちその2~サラリーマン以降
皆さんこんにちは、豊田周平です。前回のブログから300回記念として私の生い立ちをお話させていただいておりまが、今回はサラリーマン時代以降についてご紹介させてください。
<豐田産業の前身の豐田絨店>
45歳でサラリーマン退職をしてから、名古屋で自営業+経産省のお手伝い+専門学校の講師として働いていました。
その頃豊田産業は繊維業を辞めて貸しビル業を行っており叔父が社長として携わっていましたが、叔父も高齢になり手伝うことになりました。エンジニアではありますが、ビルのハードウェアのこと、ビル経営についてはは全くわからなくメンテナンスや大規模改修工事とかどうするの?という状態でした。
さらに単独経営ではなく超大企業との共同ビルだったので余計に大変で、一から貸しビル業を学ぶことになりました。
で、大阪ビルディング協会に加入し、多くの方にご指導をいただくことにしました。お陰様で現在までどうにか貸しビル業を営むことができて、感謝感謝です。
何か恩返しができればと、現在は大阪ビルディング協会で中小ビル経営者研究会の幹事や技術委員会の委員を務めさせていただいております。
<現在のビルの2代前の豊田商店のビル>
昔の業界との復縁
「大阪に戻っていると聞きました」とサラリーマン時代にお世話になった方々から連絡が来るようになり、ありがたいことにまたたくさんの方とお会いできる機会をいただきました。
そこでお話をいただいたのが「日本フォトニクス協議会の関西支部(JPC関西)を立ち上げたいので手伝ってもらえないか」ということでした。
光の仕事には関わってなかったので固辞しましたが、東京に呼ばれて何人かの関係者とお会いしたら皆さんサラリーマン時代にお世話になった方々で、その方々から口説かれて、お受けすることにしまし、JPC関西の設立と運営に関わることになりました。
<JPC関西主催、天野浩先生ノーベル賞受賞記念祝賀会での司会>
JPC関西での活動をやっているうちにレーザー学会、日本光学会、照明学会などにも所属させていただき、講演やセミナ講師などもさせていただいてます。昔から思ったことははっきり言いますので、企業の研究者の皆さんや大学の先生方にとってはおもしろい存在なのかと、思っています。
同級生との関係
大学時代の同級生はほとんどがエレクトロニクス業界に就職し研究開発に携わっていたこともあり、お互い競合でなかなか自由に会うこともできませんでした。
しかしサラリーマンを辞めてフリーになり、全く異なる業種に身を置く小生はもともと人付き合いが好きなこともあり、会う機会を作るようになりました。
業界大手の役員同士の会食でも単なる同級生の小生が同席すれば問題なしですし、多くの同級生のハブ的存在になり盛んに交流することができました。
また関西に戻ったこともあり、高校時代の剣道部OBOG会を大々的にやったり、高校の学年全体同窓会(450人/学年)を同級生と企画したりといろいろと会う機会を作りました。
昔だとかなり手間がかかりますが、メールやSNSを活用したらそう手前もかからないし、同じ人間が幹事やった方が効率的。
高3の同窓会はコロナ禍までは一回抜けただけで毎年開催。ここ10年ほどは小生が毎年幹事をしています。最近では連絡先の変更とか退職後したとかの連絡も自然と私のところに来るようになりました。
次回も300回記念のブログを紹介させていただきます!
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