President column社長コラム
社長ブログ 人生のキッカケ パート③
人生のキッカケ パート③
皆さんこんにちは。豊田周平です。今回は労働組合の役員をしたキッカケ、コンサルのキッカケについてお話しさせてください。
労働組合の役員を経験
これはまだサラリーマン時代の話ですが、労働組合の役員を経験させていただきました。「組合の役員をやってくれ」と言われたのは青天の霹靂で、研究所の総務にいた方の推薦をいただいての事でしたが「なんで俺が」がその時の正直な気持ちでした。
研究所以外、他の部署とあまり関りが無い井の中の蛙だったのが、組合員の人たちとの会話、人事部との交渉などをこの時初めて経験させていただきました。それが大きな転機に。
製造現場から見たら大卒の研究所の人間でかなり厳しい対応でしたが、任期を終えて現場の委員に挨拶にいった時には「良くやってくれたな。」って言葉をかけていただき、ありがたかったです。
わずか2年間の経験ではありましたがこの経験があったから、開発者の目線だけでなく、現場や営業や会社の仕組み、そしてお客様の気持ちなど全体を考えるパイプの役割ができるようになりました。
研究所と事業部兼務時代
この時はトラブルが起きればよくお客さんのところに謝りに行ってました。最終の新幹線で東京へ行くこともしばしば。当時はまだ新幹線に個室があり、そこで営業と品証と個室で打合せ。東京で泊まり、上野発の朝一でお客様のところに謝りに行ったり、試作品を持参したり。試作品作るのも子会社の製造部隊なので、パートさんに無理言って残業をお願いしたことも何度かあり、タクシーでパートさんのためにたこ焼き買いに行ったり。
これもかなり大変だったけどいい経験になりました。
コンサルのキッカケ
日本ガイシを退職後は、学生時代の塾の先生や家庭教師などのアルバイト経験を考えればどうにか食べていくことは可能だろうと(実は大学院時代の家庭教師の収入は初任給より多かった。)と思っていました。(家族もいることだし、退職後もある程度の収入が確保できる確信が必要でした。)
その直後に早期退職した先輩に街で偶然にも再開再会し、先輩がやっていた島根の専門学校の講師を引き継ぐ事になりました。講義内容は「物理」と「音の物理」。専門学校で90分×4コマを一日で。名古屋を夕方出て現地着は夜遅く、一泊して次の日朝から4コマやって名古屋へは最終の新幹線で帰着。結局5年ほど続けていました。
作ったスライドは2つの講義合わせて300枚、これ使えば教科が書かけるほどの量と内容でした。
それと退職直後にサラリーマン時代の取引先の方から、ありがたいことに「手伝ってほしい」と声を掛けていただき、顧問として早々に2社に関わらせていただきました。その後は多くの会社様に声をかけていただき、顧問として活動。
しばらくは専門学校の講師とかやりながら、企業様の顧問をしていましたが、主催していた異業種交流会で出会った中部経済産業局の人から頼まれて中小企業基盤整備機構の施策のお手伝いを週2~3日もはじめ、こちらも掛け持ちで4年半ほどしていました。
経産局の仕事として中小機構で中小企業さんのお手伝い、そして中堅、大手企業の顧問を掛け持ちさせていただき、サラリーマン時代とは違う会社の関わり方ができて、すごく勉強になりました。技術分野だけでなく、経営、市場開拓も含めてサポートをし、技術屋がいろいろな分野へ広がるキッカケにもなりました。
今では普通にセミナーの講師をやったりできるのも、専門学校での講師経験が大きいし、顧問や中小機構の施策をお手伝いした経験は今の仕事でも生きています。
人生のキッカケとなる時には、いろいろな人に「声を掛けてもらって」います。
ありがとうと言われたり、手伝ってほしいと言っていただけたりといろいろありますが、皆さんの一言で支えられています。