President column社長コラム
社長ブログ 人生のキッカケ パート①~物理の道に進んだキッカケ~
人生のキッカケ パート①~物理の道に進んだキッカケ~
皆さんこんにちは。豊田周平です。私は自分のことを物理出身のこてこてエンジニアとよく紹介させていただいていますが、そもそもどうして物理の道を志したのか、そこに至るまでのキッカケを今回はお話しさせていただきます。
物理を選んだキッカケはブルーバックス
なぜだかわかりませんが元々、物理と化学が好きでした。今振り返るとたぶん高校の物理の先生の影響が大きかったのかと。物理といっても非常に幅広く、理論、素粒子、核、宇宙物理などいろいろあります。その物理でも、受験の時に読んだ講談社から出版されている「ブルーバックス」を読んでハッキリと物理でも物性物理と言う分野がおもしろそうだと認識しました。物性物理(固体物理学)はモノを扱う物理で、金属、半導体、超伝導など、実際にモノが目で見ることができる分野です。
物性物理(固体物理学)を志し、大学への進学は大阪大学基礎工学部物性物理工学科へ行くことを高校時代に決めました。
当時の研究
大学進学後読んだこれまたブルーバックスがキッカケで旧川井研究室に入りました。残念なことに3回生の時に川井直人先生はお亡くなりになり、その後は川井先生の弟子の遠藤将一先生の研究室に入りましたが、スタートしたばかりの研究室だったので思い切って研究することができました。実験装置もなく実験装置の手作りからスタート。装置やサンプルを作るための金属の旋盤加工やボール盤加工、平面研削盤加工、ガラス細工、配管配線などなんでもやりました。これも今思えば非常にいい経験でした。
研究室に配属されてからは実験の毎日で帰る暇がないほど大変でしたが、地球内部の様な高温高圧下でダイヤモンドが合成できるなどおもしろそうな事ばかりで、毎日がとても充実していました。
共同研究もあり、平塚にあった企業へ何週間も行って実験したり、六本木にあった東大物性研究所とも共同研究を。六本木の宿舎に滞在して、研究実験を行っていました。
就職後も助け合いながら
卒業後、同級生のほとんどが大手電機メーカー、素材メーカーへ就職し、お互いが競合企業同士という事もあり、同窓会などで会っても仕事の話はなかなかできませんでした。
しかし50歳を過ぎたくらいから多くの同級生との関係が復活したりして今では定期的に集まったり、いろいろ助け合ったりしています。
何人かは大手の重要ポジションでばりばり活躍中だったり、大手電機の役員になった人もいますが、役職も進む道も違っても、今でも集まればすぐに物性物理の話になって盛り上がれます。
「フェルミレベルとかマルテンサイト変態とかBCS理論とか」完全に周りが引いてしまう様な話を未だにしています。いくつになっても好きなことは忘れないし、物性のことが本当に好きだったんだなと改めて実感してます。
今にして思えば、専攻した物性物理はめちゃくちゃ全方位対応ができる分野だったので、そういった部分でも私に合っていたのかと。
半導体、金属、光、セラミックスなど、基本的な固体の性質を勉強したので、何がでてきても抵抗なく受け入れることができて、なにを調べたらいいのかも目処がすぐつくようになったので今までの仕事でもいろいろ役に立ってきました。
物理を好きになった事をキッカケに、今の生活の大きな基盤が出来ています。